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映画「グッバイ・サマー」の感想と考察|あの夏の日々を振り返る

映画「グッバイ・サマー」は2015年7月8日にフランスで公開された、青春ロードムービーです。

監督は2005年3月19日に日本で公開された映画「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリーで、監督自身の自伝的要素を含んでいる作品でもあります。

この記事では映画「グッバイ・サマー」の個人的な感想や考察について書いていきたいと思います。

映画「グッバイ・サマー」 あらすじ

〈あらすじ〉
14歳の微妙な時期に立ち、子供でも大人でもない。画家になる夢を見るダニエルは、悩みが尽きなかった。

まだ中学生だけど、女の子みたいな顔で、クラスの連中には「ミクロ」とからかわれ、憧れのローラには目もくれられない。母さんはうるさくて、兄ちゃんは手荒いパンクだ。
自分をわかってくれる人なんて、どこにもいない……。
そんなダニエルの前にある日、クラスに一風変わった転校生が現れる…

なぜいつも、夏

主人公のダニエルと、機械オタクのテオが夏休みに自作のハウスカーで旅に出るという物語。

こういうストーリーはとてもワクワクするので好きです。

クラスになじめない少年が、新しい世界を求めて冒険に出るのです。

そして夏休み…

不思議に思うのですが、どうしてロードムービーとか、青春ムービーとかって、必ず”夏”に旅に出るのでしょうか?

少年たちの青春ロードムービー代表作ともいえる「スタンド・バイ・ミー」も夏ですし、冬のロードムービーを観たことがない気がします。

もちろんよく探せば冬のロードムービーがあるかもしれませんが、圧倒的に季節は夏のロードムービーが多いはず。

生物学的な理由

前世界共通かはわかりませんが、夏になると夏祭りや花火、野外フェスなど、カップルで外出する機会も多くなって、デートするカップルを見て自分たちも恋愛モードになるけどなかなか実現しなくてそのエネルギーが旅に向かうのでしょうか。

海水浴やプールに行くと普段はそこまで見ることのない肌の露出や、開放的な気分が相まってそのエネルギーが旅に向かわせるのでしょうか。

なんとなく冬場の物悲しい雰囲気が、冒険という活発な行為の足を引っ張るから旅に行くのは夏なのでしょうか。

どうやら最有力説は「夏は成長や変化の象徴として使われることが多く、青春ドラマや成長物語に適している」のようです。

映画「グッバイ・サマー」 弟と兄のシーン考察

一言で関係性が伝わる

作中でテオがダニエルの家で晩ごはんをごちそうになるシーンで、ダニエルが兄と喧嘩をする場面があります。

それがあってとてもイヤなお兄ちゃんにみえるのですが、これでは中立な考えはできないと思い冷静になって改めて見ていると、これがなかなかいいお兄ちゃんなんです。

ダニエルが親に黙って家を出る時に、このパンクなお兄ちゃんはスマホを渡して「場所はわかるようにしておけ」的なことを言います。

このお兄ちゃんはそんなに画面には出てきませんがこの短いシーンをみて「お兄ちゃんだなぁ」と、とてもしみじみ感じました。

この一言でお兄ちゃんの印象は逆転しますが、弟と兄の関係ってよくよく考えてみると不思議ですよね。

「父親にはなれるが、兄にはなれないんだぞ」どこかの誰かが言っていましたが、口が悪いながらも面倒を見てくれる存在あったり、兄弟の歳が離れているほど幼いころは兄のことを親に近い感じで見ていることもあるんだと思います。

とにかくこの弟と兄の短いシーンは、ダニエル14歳という人物像をすごくリアルに見せてくれたシーンでもあります。

映画「グッバイ・サマー」 フランス映画チックさに対しての感想

優しくて品のある響き

ハリウッド映画はこれまでたくさん観てきたので、たまにはこうしたフランス映画を観て息抜きをしたくなるのですが(そもそも映画自体が息抜きですが)、

フランス映画で好きなところは、個人的には言葉のイントネーションではないかなと思っています。

もちろん何を言っているのかは字幕を見ないとわかりませんが、なんかいいんですよね…あの優しい感じが。

ダニエルの母親役を演じているオドレイ・トトゥの話し方とか、「フランス映画みてるなぁ」って感じでなんかいいんです。

フランス人の気質

旅の途中でテオが「自分の話ばかりだ」というセリフが思春期の心情をとてもよく捉えていると思うのですが、それと同時に、フランスの子供って大人だなと感じることが多いです。

他人の行動や言動に対しての指摘の仕方とか、本当にまだ中学生ですか?と思ってしまいます。

物語のオープニングからラストまで、特にものすごいことが起こるわけではないのですが、観たあとは後味の良い余韻が残る作品です。

そして、大事な時間ほど一瞬の短い間で、一度しか体験できない事なんだろうと少し寂しくなったりもします。

フランス映画のラストってなぜか毎度、謎のまま終了したり、思わせぶりな感じで終わったりすることが多いのですが、それはフランス人の気質や芸術への関心が高いからなのかもしれません。

映画「グッバイ・サマー」 ラストのシーン、時間が戻る描写

成長したダニエル

映画「グッバイ・サマー」のラストで時間が戻っていく描写は、主人公ダニエルの内面的な成長と変化を象徴しているのではないでしょうか。

ラストシーンで時間が逆行するような描写は、ダニエルがこの夏に経験した冒険を通じて、彼自身のアイデンティティと向き合う過程を視覚的に表現しているように感じました。

ダニエルは旅の終わりには精神的に大きく成長していて、自分自身と周囲の世界をこれまでとは違った視点で見られるようになったのでしょう。

また、この映画はミシェル・ゴンドリー監督の自伝的要素を含んでいるのですが、彼の創造性の源泉を探ることができる作品とも言われています。

自伝的要素の視点からみてみると、この時間が戻る描写はミシェル・ゴンドリー監督自身の過去への回顧や、少年時代の無邪気な冒険へのノスタルジーを表しているのかもしれませんね。

映画「エターナル・サンシャイン」のような、現実と夢(幻想)の間を行き来しているような感じを彷彿とさせるシーンでもありました。

まとめ

映画「グッバイ・サマー」の感想と考察|あの夏の日々を振り返る、について書かせていただきました。

映画「グッバイ・サマー」は夏の終わりに訪れる別れと成長の瞬間を描いた作品で、映画の中で展開される主人公たちの心の動きと、彼らが経験する夏の日々の思い出を振り返ります。

どこかのシーンでもしかしたら、自分たちのあの頃の夏を思い出す場面があるかもしれません。

ご覧いただきましてありがとうございました。

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